レギュレーションの箱 ── 制約の中の設計

フォーミュラカーCAD正面図とレギュレーションボックス
正面図 ── 各パーツがレギュレーションボックス内に収められている
フォーミュラカーCAD背面図とレギュレーションボックス
背面図 ── 色付きの領域がレギュレーションで定義された許容範囲

フォーミュラカーの空力パーツは、すべてレギュレーションで定義された「箱」の中に 収める必要があります。フロントウイング、バージボード、フロア、リアウイング—— 各デバイスにはそれぞれ許容される領域(ボリューム)が厳密に規定されており、 エンジニアはその制約の範囲内でのみ形状を自由に設計できます。

上の画像で色付きの半透明ボックスとして表示されている領域が、レギュレーションで許可されたゾーンです。 現代のフォーミュラカーではこの自由度がかなり制限されており、 結果としてどのチームの車体も似たり寄ったりのシルエットになるのが特徴です。 しかし、同じ箱の中でもディテールの作り込み—— 翼端板の処理、フロアエッジの形状、ベーンの配置——が空力性能を大きく左右します。

タイヤウェイクを可視化する

前回の記事で述べた通り、フロントタイヤが生み出すウェイク(乱気流)は フロア下に流入する空気の質を著しく劣化させます。 では実際に、タイヤウェイクはどのような形をしているのか? CFDの全圧係数(Total Pressure Coefficient)を断面で可視化してみます。

以下のCFD画像はいずれも上下2段で比較表示されています。 上段はウェイク対策が弱い仕様下段はウェイク対策を強化した仕様です。 全圧係数のカラーマップでは、赤い領域はエネルギーを保った健全な流れ、 青い領域はエネルギーを失った低品質な流れ(ウェイク)を示しています。

フロントサスペンション周辺 ── ウェイクの発生源

フロントサスペンション周辺のウェイク比較
フロントタイヤ・サスペンション後方の全圧断面 ── 上:対策弱 / 下:対策強

フロントタイヤ直後の断面を見ると、タイヤとサスペンションアームの後方に 広大な青い領域——つまりエネルギーを失ったウェイク域——が広がっていることがわかります。 特にタイヤの下半分(接地面付近)から発生するウェイクは、 そのままフロア入口に向かって流れ込むため、最も深刻な影響を与えます。

下段のウェイク対策強化仕様では、タイヤ下部のウェイク域(青い領域)が明らかに小さくなっており、 フロア入口に流入するクリーンな空気の割合が増加しています。 この差が、アンダーフロアのベンチュリー効果の効率に直結します。

リア周辺 ── ウェイクの下流への伝搬

リア周辺のウェイク比較
リアタイヤ周辺の全圧断面 ── 上:対策弱 / 下:対策強

さらに下流のリアタイヤ付近まで追跡すると、フロントで発生したウェイクが 車体の側方に沿って後方まで伝搬し、リアの空力環境にも影響を与えていることがわかります。 対策強化仕様(下段)では、ウェイクの構造がより整理されており、 フロア後端やディフューザーに到達する流れの品質が改善されています。

コクピット周辺 ── 車体上面の流れ

コクピット周辺のウェイク比較
コクピット・エンジンカバー周辺の全圧断面 ── 上:対策弱 / 下:対策強

コクピット周辺の断面は、車体上面を通過する流れの品質を示しています。 インダクションポッドやミラー、ヘイローの後方にもウェイクが発生しますが、 フロント周りのウェイク対策がうまく機能していれば、 車体側方を通過する流れの品質も改善され、 リアウイングに到達するインフローの質が向上します。

縦渦(ストリームワイズ・ボルテックス)とは

では、ウェイク対策の「武器」とは具体的に何なのか? それが縦渦(ストリームワイズ・ボルテックス / Streamwise Vortex)です。

縦渦とは、主流方向(車の進行方向)を軸として回転する渦構造です。 通常の渦——たとえば翼端渦やカルマン渦——は主流に対して垂直な軸を持つ「横渦」が多いのに対し、 縦渦は流れの方向に沿って螺旋状に回転します。

この縦渦が持つ最も重要な機能は、周囲の流れを巻き込んで移動させる能力です。 渦が回転することで、渦の片側では流体を上方に持ち上げ、もう片側では下方に押し下げます。 この巻き込み効果を利用すると、タイヤウェイクのような低エネルギー流を 特定の方向に「追いやる」ことが可能になります。

マッシュルームシェイプの形成: フロントウイングの翼端板やベーンから意図的に縦渦を生み出すと、 その渦がタイヤウェイクの低エネルギー域に作用し、 ウェイクの断面形状を変形させます。 理想的に機能すると、ウェイクは断面がマッシュルーム(キノコ)型に整形されます。 縦渦がウェイクの下部を外側に押し出し、上部に持ち上げることで、 タイヤ底面付近の低エネルギー域がフロアから遠ざけられ、 フロア入口にはクリーンな高エネルギー流が確保されるのです。

つまり、縦渦によるウェイク処理の本質は、ウェイクを「消す」のではなく 「形を変えて、フロアに害を与えない位置に移動させる」ことにあります。 タイヤ底面のウェイク域を減らすことで、フロア下を流れる空気がクリーンになり、 アンダーフロアのダウンフォース性能を最大化できるのです。

縦渦の歴史 ── 2010年代の革新

縦渦を意図的に生成してウェイクを整形するというコンセプトが フォーミュラカーの空力開発に本格的に取り入れられたのは2010年代に入ってからです。 それ以前にも翼端渦やバージボードの渦構造は存在しましたが、 縦渦を「ウェイク処理の道具」として体系的に設計に組み込む発想は、 CFD技術の飛躍的な進歩と計算リソースの増大が可能にしたものです。

現在のF1マシンでは、フロントウイングの翼端板、ノーズ下面のケープ、 バージボードの複雑なフィン群——これらすべてが、 精密に制御された縦渦を生み出すためのデバイスです。 各渦の強度、位置、回転方向は、フロア入口におけるウェイクの形状を 最適化するように設計されています。

市販車・GTカーへの応用可能性

興味深いことに、こうした縦渦を使ったウェイク処理の考え方は、 まだ市販車のエアロパーツにはほとんど反映されていません。 市販車やGTカーの空力パーツは、ウイングやスポイラーによる直接的なダウンフォース生成が中心であり、 流れの構造を渦で積極的に制御するアプローチはまだ一般的ではありません。

しかし、フォーミュラカーの世界で実証されたこの技術は、 適切に応用すれば市販車やGTカーの空力効率を大幅に改善できる可能性を秘めています。 特に、フェンダーから出てくるタイヤウェイクの処理や、 アンダーボディのフロー品質の改善など、応用できる領域は少なくありません。

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SERIES — 現代フォーミュラカーのダウンフォース

① ダウンフォースの発生源
② タイヤウェイクの対処法(本記事)

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